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インタビュー、



インタビュアー:絵を描くことが好きになったきっかけは ?
クリスティアン:僕は、健康上の理由で、3歳から6歳までマンスの山で過ごしました。オート=アルプ地方の村に両親の友人夫婦が住んでいたのです。ラジオもテレビもありませんでした。与えられた部屋には大きな物入れがあったのですが、その中にユーモア・イラストがいっぱい載っている雑誌がいっぱいつまっていて、僕は毎晩、繰り返しページをめくりました。 たちまち夢中になりました。もちろん、僕はまだとっても幼かったから、意味もわからずに見ていたのですけれど。それ以降、新聞や雑誌に出ているイラストを必ずチェックするようになりました。当時は、イラストレーターになろうなんて思っていませんでした。そんな仕事があることすら知りませんでしたし、ほかの子供達と同じように、パイロットか獣医になりたいと思っていました。 それが間もなく、絵ばかり描いているようになったのです。
小学校にあがって、なんという名前の団体だったか覚えていないのですけれど、そこへの寄付金集めのために、児童は各自福引きの券を売るように言い渡されました。そこで僕はいいことを思いついたのです。自分の部屋で個展を開いて、両親に一日4、5回来てもらうんですよ。入場料は、50サンチーム!
僕は鼻高々で、担任に集めたお金を持って行きました。絵を描いてお金をもらったのはこれが初めてです。

インタビュアー:もともと絵を描くことは得意だったのですか ?
クリスティアン:いいえ、いまだって得意ではありません!
高校時代は、同級生のウケをねらって教師達の似顔絵をおもしろおかしく描いていました。親友も同じだったのですが、彼はぼくよりずっと絵がうまくてイライラさせられました。でもアイディアはぼくのほうがずっと面白かったと信じています! ちなみに、運命はうまくいかないもので、結局彼は建築家になりました!!

インタビュアー:画力の向上のために美術学校に通われたりしましたか ?
クリスティアン:いいえ。でも、自己満足には陥りたくありません。僕は先人達から、つまり僕の子供時代を豊かに彩ってくれたイラストレーター達から学びました。だれか特定の一人に師事しませんでしたが、ぼくには何十人もの師匠がいるのです。
のちのち気づいたのは、デッサンの基礎を学ばなかったことによって、僕はかえって独自のスタイルを生み出せたのだということです。
ただし、想像したとおりのものに近い絵が描けるようになるまでには、随分と期間を費やしました。カラーイラストは特にそうです。

インタビュアー:影響を受けたイラストレーターは具体的に誰ですか ?
クリスティアン:全員挙げたらすごい数になるのではないでしょうか。みんなスタイルがぜんぜん違いますから!
シャバルに、ルーに、サンペに、シネに、プランチュに、ピエムに、セールに、レイザー、それからアルゼンチン人のモルディロは色遣いがすばらしいですし、アメリカ人のゲイリー・ラーソンは大好きな作家ですし、カナダ人のアンドレ・フィリップ・コテにも影響を受けましたね。
いまでは彼らのほとんどが友人なんです。信じられないですよ!
イラストレーターのカラバルは彼の息子の名付け親になってほしいと僕に言ってくれました。シリルと命名した男の子はカラバルの人気BD(漫画)作品“Les Gosses”の中で大冒険を語るキャラクターになっているんです。僕の名付けの息子は、すっかり立派な青年になりましたが、一方でBDの世界のヒーローでもあるんです。

インタビュアー:BDの制作はいつから ?
クリスティアン:読むのは大好きだけど、描くとなるとこれはまた別のものです。1冊のアルバム(?一般的にA4版ハードカバーのカラー本)のために、1年かけて作業するというのは、僕には向いていません。同じキャラクター、同じ背景を何度も何度も描くなんて、とうてい無理です。僕は即興でスピーディーに描くのが好きです。一つ仕上げたら、サインをして次の作品へ取り掛かる。色を塗るのに一日二日がかかってしまうこともありますが。.

インタビュアー:あなたのデビューに話を戻しましょう。好きなことが職業になったのはいつからですか ?
クリスティアン:ここ、カブリスで開催されたアマチュアのイラスト展で、「展示されていた中で、特にクリスティアンの作品が好きだわ」と、あるご婦人が言ってくれたんです。
この言葉でピンときました。翌週にはイラストの入ったファイルを小脇に抱えてパリにいました。20歳のときです。
いくつかの作品がすぐに世へ出ることになりました。まずは地元のDauphine Liber藥罎任靴拭C韻譴匹癲∪験茲里燭瓩砲魯團恐阿妊▲襯丱ぅ箸鬚靴覆C討呂覆蠅泙擦鵑任靴拭, 約2年の間、ニースの旧市街で、誰とも交流を持たないで暮らしました。仲間と遊びに行く誘惑を遠ざけて絵を描くために、小さなワンルームを借りました。
その努力が実を結び、次々とイラストを手がけることになったんです。Dauphine Liber藥罎砲亘萋ヌ舛い討い泙靴燭掘△修梁召砲眛emme Actuelle誌、Parisien誌にも描かせてもらえるようになりました。通信社Intermonde Presseも、契約をかわして以来ずっと僕のイラストを使ってくれています。 それから、Nice-Matin紙、Frence 3でも。



インタビュアー:テレビ出演についてはいかがでしょう ?
クリスティアン:テレビへの出演は、僕にとって重要な段階でした。テレビというのは、ただ画面に映像が映しだされるだけのものですし、昔と違って大衆が情報を何でも鵜呑みにするわけではありません。それでもやはり、テレビに出ている人は特別な能力があるのだ、と大衆は受け取ります。僕はFrence 3のコート=ダジュール版ニュースのダイジェストコーナー“La semaine de Kristian”(「クリスティアンの一週間」)で、毎回5、6点のカラーイラストを紹介する機会に恵まれました。当初は、数ヵ月で終わるだろうと思っていたけれど、なんと13年間も続いたんです!
その間にディレクターは何人も変わりましたが、毎度、彼らを喜ばせるアイディアを提案する必要がありました。しかしながら最後に放送したダイジェストは、以前ほど魅力的ではなかったと思います。13年間続けて、一種のマンネリが生じました。
France3と仕事をする傍ら、France5、M6、TMCで放送されていた定時ニュース“Chrono”でも仕事をしていました。オートレースのニュースのイラストを描くほか、番組のオープンニングアニメーションの制作にも携わりました。

インタビュアー:カンヌ映画祭ともコラボレーションしていらっしゃいますね。イラストレーターであるあなたが、映画の世界にどうやって乗り込んでいかれたんですか ?
クリスティアン:あり得ない話なんです。当時僕は25歳か26歳で、映画祭メイン会場パレ前の市場で絵を売っていたら、警察に立ち去るように注意されました。それで、映画祭実行委員会の会長に宛てて、会期中に商売をする許可を与えてくれるようにと手紙を書いたのです。僕の作品を何点か同封して。すると、なんと会長から呼び出されました。これだけでも驚きなのですが、さらに、許可はできないけれど僕のことを雇いたいと言ってくれたんです !!
それで僕は6年間、カンヌ映画祭のイラストレーターを務めることになりました !
アーティストのキャリアに大事なのは、好きという気持ちはもちろんのこと、何といっても人との出会いです。それが偶然であろうと、待ちに待ったチャンスであろうと。
真の才能というのは、チャンスが巡ってくるのをどう待つのか心得ていること、あるいはチャンスを作り出せることを言うではないかと思います。

インタビュアー:ニースのカーニバルの山車のデザインは、まったく新しい挑戦でしたか ?
クリスティアン:ニース観光協会の依頼で、数年前から何台もの山車をデザインしてきました。
ほんとうにワクワクする仕事です。どんな山車にするかを考え、デザインを描きおこし、カーニバルのスタッフたちが実際に形にしていくのに立ち会います。平面の絵が立体的に膨らみを増し、15メートルの高さにまでなるんです。2002年と2008年には、Le Roi de Carnaval(「カーニバルの王」)と呼ばれる特別な山車のデザインを手掛けましたが、生命を吹き込まれた山車が群集の中を進んでいくのを見るは、それまで生きてきた中で最高に興奮した経験でした。
ずいぶん前から、僕は、時事イラストにベースを起きつつ、もっと作品を多方面に「発信」したいと思っています。カーニバルの山車はその一例です。ほかにもポスターや展覧会での作品発表、壁画の制作やモザイク画なんかもいいですね。まだチャレンジしていないことに挑戦すれば、きっと人々の目にとまるはずです。モルディロは、クルーズ客船の外装を彼のキャラクターたちのイラストで飾っていますが、そんな仕事は夢のようですね !

インタビュアー:日本でも展覧会を開催されてますね ? 新たな冒険“サムライの国のクリスティアン”は、どんないきさつで実現したんですか ?
クリスティアン:これもやはり人との出会いによるものです。ブラック・ユーモア演劇賞最優秀賞の受賞者である Th鰾tre Guy Foissyの主宰者、ギィ・フォワシー氏との出会いです。彼はカブリスから5キロのところにある、グラースに住んでいます。
ユーモアが好きで、時事イラストが好きで、そんな彼が僕に会いたいと言ってくれまして、以来、とても親しくしています。彼の演目は世界中で上演されていますけれど、僕はポスター用のイラストを制作したり、3本の作品では舞台装飾も任されました。彼のお陰で、イタリアや、アヴィニョン演劇祭や、日本での展覧会が実現しました。
いまでは、年間いくつもの展覧会を開催しています。日本には行く時はだいたい彼と一緒です。日本には多くの友人がいます。いまのところまだ彼らのすべてを分かっているわけではありませんが、皆とても魅力的な人達です。

インタビュアー:カブリスと日本を行き来するのは大変ではないですか ?
クリスティアン:カブリスで暮らすという選択を、一度も後悔したことはありません。アトリエも自宅もカブリスにあります。もしかしたらパリのほうが便利なのかもしれませんし、もしかするとそうではないかもしれません。
いずれにせよ、この海と山にはさまれた人口1600人の小さな田舎の村での生活は贅沢ですよ。僕は、いまだにその魅力を味わい尽くせません。カブリスにいるからこそ、僕は心のバランスを保っていられます。
東京やニューヨークも大好きですけれど、ここでの暮らしがあってこそ、そう思えるのです。
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、母親が暮らしていたカブリスをよく訪れました。彼のすばらしい作品の一部はここで書かれたそうです。いつも僕は、この僕の子供時代の英雄、サン=テグジュペリが、星の王子様と手をつないで街角にひょっこり飛び出してくるような気がしています。



インタビュアー:コロンビアでも展覧会をしていますね ?
クリスティアン:コロンビアでの展覧会はカーニバルに関連したものです。コロンビア人はとても目が肥えています。2008年に、ニースのカーニバルの僕のプロジェクトをバランキヤ市内のギャラリーで展示し、講演会にも参加しました。いまコロンビアには僕のエージェントがいて、すでにいくつもの企画もあります

インタビュアー:今後やりたいことを教えてください。 ?
クリスティアン:未体験の分野の開拓です。新たな協力者を得て、ひたすら情熱の赴くままに生き、前進し続けたいです。僕は自分がやっていることに一度も満足したことがありません。ただの一度も。気取っているわけでも、謙遜しているわけでもありません。仕事を始めたばかりころは、満足できないことがもどかしくてたまりませんでしたが、いまでは折り合いをつけていく術を心得ていますし、満足できないということこそが、僕が前進するための動力源になっているんです。


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